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	<title>武蔵野独歩</title>
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	<modified>2007-05-16T19:54:33+09:00</modified>
	<author><name>植木四十六（国木田独居）</name></author>
	<tagline>武蔵野独り暮らし、日々雑感。</tagline>

	<entry>
		<title>行け行けヒューマン 〜 #nhk_special 『ヒューマン なぜ人間になれたのか』</title>
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		<issued>2012-02-20T03:32:18+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-20T03:32:18+09:00</modified> 
		<created>2012-02-20T03:32:18+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>テレビ</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　4回シリーズで放送中の、表題のNHKスペシャルがとても面白い。<br />
<br />
　文字通り我ら「ホモ・サピエンス」が他の生物（ネアンデルタール人等の生物学的近隣種も含んで）と違い、何をして“現代の我々に到っているのか”を検証する、そんな番組。<br />
<br />
　ま、斜めに見るといかにも——ことに演出技法として『NHKスペシャル』的な——短絡や感動を導くような、恣意的で小賢しいモンも無くはないのだが、俺個人としてそういうのは大好きなので（笑）、まんまと感動しているわけだ。<br />
（ほら、スペシャリストじゃないけどゼネラリストだから俺ｗ）<br />
<br />
　で、この「ヒューマン」がどうして俺をして感動させるかといえば、ヒト＝ホモ・サピエンスとその20万年の歴史を多方面・多角的にとらまえて、専門分野のぐいぐいとしたアプローチを紹介し、かつ全体として俯瞰的に分析していて、かつわかりやすく表現しているから。<br />
<br />
　こういうの、すごく好きなんだよね。<br />
<br />
　かなり蛇足で、かつ昔からの俺のファン（笑）のかたにはミミタコのハナシをちょっと——<br />
<br />
　俺はいまや色んな側面において歴史に詳しく、かつ、そのことを多角的に考え言葉に乗せられる人だと自負しているのだが—— 実質的には @buraroman の実散歩の中での俺の“喋り”に表れてると思う——そのきっかけとなったひとつの番組があった。<br />
『46億年の100大ニュース』<br />
　1991年だか1992だか。フジテレビ（CX）系列の深夜枠で古舘伊知郎をナビゲータとして放送された6時間にわたるスペシャル番組だったのだが、これがもう本当に凄かった。<br />
　当時バブルの最後期で——いまから思うと慶長とか元禄とかそして文化／文政に似てるのかもだが——無尽蔵の経済繁栄の中で生まれた番組だが、俺がまず震えたのはそのコンセプト。<br />
　いわゆる教科書上で教わる歴史ではなく、<br />
「“放送当時”のぼくら（笑）に最も影響を与えてる地球史の事件は何？」<br />
　というもの。<br />
　多細胞生物誕生とか酸素系生物とか農業の発明とか貨幣の発明とかバビロンの捕囚とか平均率とかなぜネクタイを締めるのかとかハワイがなぜいまハワイなのかとか第一京浜はなぜ生まれたのかとか……それが色んな表現で——ニュース方式だったりバラエティだったりクイズ番組だったり、トレンディドラマ（笑）だったりで紹介されていたのがまず凄かった。<br />
　ことに俺が目を見開いたのが、当時のフジテレビの女性アナウンサが、下北沢のそう広くない道路の真ん中に立って、<br />
「私はいま、歴史的場所に立っています」<br />
　というパロディニュース。<br />
　西にマクドナルド、東に韓国焼肉屋。<br />
　つまり“人類史上最大の帝国”と言われるチンギスとかフビライとかの侵略が西周りでは東欧にまで達し、「生肉を喰らうのはドイツのハンブルグではそのまま食すのはやだなー。だから火を通そう……ハンブルグ風ステーキ……ハンバーグ」で、東としては元寇とか含め「生肉タタキ食文化」が伝わったと。<br />
　蛇足ながら、ハンバーグもユッケも、原初は同じってハナシ。<br />
　俺、この番組で西廻りと東廻りの食文化の同一性を知り、ウロコがぽろぽろ堕ちたもんだ。<br />
<br />
　閑話休題。<br />
<br />
　この、『46億年100大ニュース』に類する感動を、俺はこの『ヒューマン なぜ人間になれたのか』　に感じるわけだ。<br />
<br />
　兎にも角も、“視点が多角的”。凄く、大事。<br />
<br />
　先般、『ヒューマン なぜ人間になれたのか』第1回の再放送を観る機会を得、今宵また第3回を観たのだが、本当に、上記『46億年100大ニュース』に匹敵する、人生観を変えそうかもと思ったシークエンスがあった……<br />
<br />
　……なのだけれども、知力・体力的にその“凄く大事なこと”を、いまこの状態でロジカルに言葉にする体力も知力もないな（笑）<br />
　もとよりそのことを語りたいと思って綴ったエントリなのだけれども、まあいいや。とどのつまり「人、生きる。」だもの。<br />
<br />
　この続きは、キンキンケロンパに。<br />
<br />
♪重いコンダラ 試練の道を（中略）ドンとイケ、ヒト。<br />
（細心の注意を以て）<br />
<br />
<br />
<br />
　このエントリは、ちゃんと補完したいね。]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>水辺のアルバム ～ #ブラタモリ 江戸の運河</title>
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		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/84/</id>
		<issued>2012-02-16T22:43:49+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-16T22:43:49+09:00</modified> 
		<created>2012-02-16T22:43:49+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>町／街</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[外勤め（遅番）を終え、西国分寺の『餃子屋とんぼ』で独り酒。<br /><br />で、幸いにも店内のテレビで『ブラタモリ』をやっていたので、マスターにお願いして字幕をオンにしてもらって観ているのだが……<br /><br />今回、大名編じゃないすかこれ!?<br /><br />もとより水辺の風景が好きでこだわりがあるというのもあるのだが、江戸開闢期から明治そして昭和30年代の高度成長期などの近代史そして現代の小名木川、江東区の治水等々について言及していてどうにも泣ける。<br /><br />こういった話題については綴りたいことが山ほどにある。<br /><br />目の前のハイボールが空になるころには放送も終わるだろうから、そうしたら帰還の上、本エントリを追記したいと思う。<br /><br />乞、ご期待!!<br /><br /><br />で、写真は今宵の『餃子屋とんぼ』の黒板メニュー、棒餃子ヾ(＠⌒ー⌒＠)ノ<br /><br /><a href="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/293997934547.jpg" target="_blank"><img src="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/293997934547.jpg" width="320" height="240" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
【というわけで追記なう】<br />
<br />
　……つか、とんぼでは聞こえなかったが、『Let's Ondo Again』がかかっていたのか。布谷文夫追悼としか思えんな。<br />
<br />
　さて今回の『ブラタモリ』で紹介された「小名木川」は前々から興味を持っていた。<br />
　そのきっかけとなったのは、白土三平の『カムイ伝 第二部』。<br />
<br />
　同作は江戸徳川四代将軍たる家綱の時代が舞台なのだが、カムイを始めとする主要登場人物たちが一時的に揃って外房に逃避行するエピソードがある。<br />
　で、その際にまずエントリするのが小名木川で、最終的に利根川から九十九里浜に抜けることになる。忍びのカムイは途中一行から離脱して霞ヶ浦で一戦かまえることになるのだけれど、いずれにせよ江戸から北東部の河川・水路が「まず小名木川」ということを漠然と理解はしていたのだけれど、今回のブラタモリは本当にその辺りの事情がよくわかるものだった。江戸と周辺の水路物流の、まさに中心であり関所が、小名木川だったんだなあと。<br />
<br />
　ご存知のかたにはミミタコだが、現代に到る「にぎり寿司」が江戸中期に誕生した背景には、生醤油の発明というものもある。<br />
　俺はだから江戸初期とかにもタイムトラベルしたいなと思いながらも生醤油が無い時代はちょっとやだなあなどと思っているのだがそれはともかくとして、生醤油が江戸に入ったのは、紀伊和歌山で作られたものが黒潮に乗って千葉の銚子（ヤマサの本拠地）に伝わり、それが利根川を遡って同じ千葉の野田（キッコーマンの本拠地）で発展し、さらにそこから江戸川や中川などを通り、そして小名木川という関所を経て江戸に伝わったと。<br />
　そんなことにまで思いを馳せると、実に感慨深いものがあるわけだ。<br />
<br />
　江戸において小名木川を始めとする河川の掘削や日比谷などの海岸線の埋め立ては徳川家康による環境破壊という捉えかたもできなくはないのだけど、ことほど左様に長いスパンで考えると家康のお陰で現代の我々が享受しているものたちはたくさんある。<br />
「やさしい環境破壊」とでもいうべきか。凄い人だねやっぱり。<br />
<br />
　で、その環境破壊という視点では、今回の放送で昭和の「地盤沈下」や「水質汚濁」について触れていたのも、たいへんに評価できるところだ。<br />
<br />
　近現代史、なかんずく高度成長期のイケイケドンドンの中で、家康や江戸時代全体を通じて大事にされた「水とその風景」が蔑ろにされたのはいうまでもないことで、本当に昭和30年代〜40年代ころというのはひどいものだった。<br />
　かの——龍や麒麟といった霊獣に護られたはずの——日本橋の上に高速道路を造るなんてのはその象徴みたいなものだが、タモリさんも番組中つぶやいた「水辺の風景」を徹底的に破壊したのが上記時代だ。<br />
<br />
　過度な地下水の汲み上げによる地盤沈下については俺も4歳〜14歳まで過ごした春日部市の巨大団地で目の当たりにしていて、本当に場所によっては、5mほど“土地が下がった”ものだ。それはそれは、凄絶な光景だった。<br />
　また、小名木川のある江東区や隣りの江戸川区なんてのは当時「海抜0メートル地帯」と呼ばれており、番組中でも紹介されたように、いつでも家屋がフツーに水没するようなものだった。<br />
　さらにいえば工場廃水や、都市部の表層的大発展と裏腹に下水道が未整備であったことによる水質汚濁もひどいもので、江東区、江戸川区、葛飾区、足立区、荒川区、北区なんて辺りの水路はいつも濁っており、雨のひとつも降ろうものなら異臭を放っていた。<br />
　このあたりのことは東宝の「クレージーキャッツシリーズ」の後期作品たちにも如実に描かれているし、また、世の中が大阪万博（EXPO'70）で浮かれたその翌年に公開された東宝映画『ゴジラ対ヘドラ』や、同じ年に放送が始まったところの当初は公害怪獣がメインだったテレビ特撮番組『宇宙猿人ゴリ（のちに『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』そして『スペクトルマン』と改題）なんかにも端的に描かれている。<br />
<br />
　現代において昭和30年代を描いた作品といえば俺も大好きな映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズなんかがあるわけだけれども、かのシリーズで描かれていない——江戸との関連ではないが——「昭和元禄」と浮かれていた当時の、“裏面史”もまたあるとして認識していたほうがいい。<br />
（蛇足ながら「ALWAYS〜」は、あれはあれでいい。根源的に美しいものを美しく描く作品もまた必要なのだ）<br />
<br />
　そしてやはりうれしいのは、そうした色んな歴史がありながらも“現在の江東区”が治水対策等々についてちゃんとしており、小名木川の遊歩道などかつての江戸の風景に通じる「親水性」を取り戻しつつあると、ちゃあんと語っているところだ。<br />
　現代においても“これが正解”というのは無いと思うけれども、現在の江東区が東京にしては珍しく人口増加の拠点となっていることはいいことだ。<br />
<br />
　人生や歴史というのは失敗するものだが、トライ＆エラーを経て正しくあれかしと努力すればそれでいい。<br />
（※原発だけは、エラーは無しね）<br />
<br />
　同じようなことは「小名木川を現在も利用している製粉工場」についても感じ入るわけで、トラック輸送の50倍を“水路”を使えば賄えるなんてのは、素敵なハナシだと思う。<br />
　繰り返しになるがかつての「水の都」をないがせにしてきたのが近現代史だとすれば、ここでまたあらためて「水の都・EDO／TOKYO」を取り戻すことを未来に向けて指向すればいいと思う。色々と難しい現在、「潤い」を考えるのもまた必要ではなかろうか？<br />
　火よりも、水を。<br />
<br />
「水は好き」——パドメ・アミダラ＠『スター・ウォーズ episode II クローンの攻撃』<br />
<br />
　江東区が率先して、かつての江戸・東京の「水の都」の姿を明示しつつあるのであれば、それはとてもうれしいことだ。過去・現在・未来という文字通り“流れ”を描いていて、本当に今回の『ブラタモリ』は麗しく感じた次第だ。<br />
<br />
　来週もまた、楽しみだね。]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>サウンドトラック野郎・御意見無用 〜 映画音楽が好きすぎて死ぬｗ</title>
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		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/83/</id>
		<issued>2012-02-16T03:02:40+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-16T03:02:40+09:00</modified> 
		<created>2012-02-16T03:02:40+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>音楽</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[<span style="font-size:x-small">※このエントリは以下も併せてお読みいただくと、よりいっそうお楽しみいただけます。<br />
<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/59/" target="_blank">◎全員集合トラップ作戦 〜吹替版『夕陽のガンマン』に大発狂（笑）</a><br />
<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/64/" target="_blank">◎ワンス・アポン・ア・タイム・イッ・チャイナ 〜「洋画ノスタルジア」プレイリスト</a><br />
<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/73/" target="_blank">◎ノスタルダメンズの大予言 〜 『追憶』</a></span><br />
<br />
<br />
<br />
　中一時代——百恵ちゃんが宣伝していた雑誌ではない。いや、その世代なのだが——の最初の音楽の授業が、楽曲『エーデルワイス』だった。<br />
　で、そのときの音楽の先生はのちに担任となって折り合いが悪かったのだが（笑）、その授業はとても素晴しく、先生が語る『サウンド・オブ・ミュージック』の虜となり、まだ観ぬその映画へ思いを馳せたものだ。<br />
<br />
　それが俺の、「洋画」に目覚めた瞬間。<br />
<br />
　で、以前にもtwitterのつぶやき等々で文字にしたかと思うが、当時はビデオも現在のようなレンタルシステムなども無くて、洋画への憧憬はいきおい『ロードショー』や『スクリーン』といった雑誌と、そして「映画音楽集」といったLPに向いたものだ。<br />
<br />
　そしてまたこれも繰り返しになるが当時は現在のようにオリジナル・サウンド・トラック（O.S.T.）がレコード会社やレーベルを超えてオムニバスでまとめられたアルバムになるような時代ではなく、たとえば当時の俺が小遣いをはたいて購入したCBSソニー（懐！）の『ミュージカル映画大全集』というアルバムでも、O.S.T.すなわち映画そのものの音源が使われているのは『ウエスト・サイド物語』とか『マイ・フェア・レディ』ぐらいで、他はいわゆるイージーリスニング／ムード音楽の楽団が演奏したものが収録されていた。<br />
<br />
　ただそれが必ずしも“負”かというとそうではなく、おかげでパーシー・フェイスとかカラベリといった楽団を知るきっかけとなり、いっぱしの「イージーリスニングおたく（笑）」となったいまに至っているのだから、“満たされる”ことばかりがしあわせではないのだろうなと思う。“届かぬあくがれ”が、ヒトの原動力になることはあるものだ。<br />
<br />
　ま、それはともかくとして、ここに来てまた映画音楽——ことにO.S.T.より以上に、イージーリスニング／ムード音楽の楽団が演奏したものへの熱が昂<span style="font-size:x-small">《たか》</span>ぶっていて困った次第だ。<br />
<br />
　逆説的だがO.S.T.ではなく楽団系で演奏される映画音楽というのは、それは、<br />
「曲として美しい」<br />
　として認められた曲だろう。すべてではないものの、つまりは“スタンダード”への殿堂入り。<br />
<br />
『スマイル』『虹の彼方へ』『タラのテーマ』『いつか王子様が』『時の過ぎゆくまま』『第三の男』『雨に唄えば』『河は呼んでる』『白銀は招くよ』『夏の日の恋』『慕情』『ムーン・リバー』『ララのテーマ』『シャル・ウィ・ダンス』『君住む街角』『ドレミの歌』『いそしぎ』『シャレード』『クワイ河マーチ』『星に願いを』『モア』『ボーン・フリー』『雨にぬれても』『メロディ・フェア』『追憶』『ジ・エンターテナー』『メモリー』『アマポーラ』……ってキリが無いがこの辺りは、誰しもが曲名も知らずまた“その映画そのもの”を観たことはなくとも、<br />
「ああっ！ この曲好き!!」<br />
　ってのがあるはずだ。商店街で聞いたとか（笑）←いや、それ凄く大事<br />
<br />
　ことほど然様<span style="font-size:x-small">《さよう》</span>に、ホンモノの「映画音楽」ってのは素晴しい。<br />
<br />
　さっきもまた、iTunes Storeで<a href="http://itunes.apple.com/jp/album/okesutoraniyoru-ying-hua-yin/id295290140" target="_blank">ムーヴィーランド・オーケストラの『オーケストラによる映画音楽大全集−フランス映画・テーマ曲−』</a>を購入しちまった。ムーヴィーランド・オーケストラなんてWikipediaにも項目が無いほどなのだが、この安っちい感じがまたいいんだよね♪<br />
<br />
　俺は生涯、「映画音楽」を愛し続けるんだろうなあ。<br />
<br />
　そしてそれはたぶん、俺の浪漫ってやつなんだろう。]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>付帯のアイランド 〜 「島」についてもうちっと</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/82/" />
		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/82/</id>
		<issued>2012-02-15T00:14:54+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-15T00:14:54+09:00</modified> 
		<created>2012-02-15T00:14:54+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>音楽</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　前のエントリの追記で<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/81/" target="_blank">『サモア島の歌』のYouTube動画</a>を発見して、何度も聴いてるわけだ。<br />
　いやもう、ポロポロ涙しながら。<br />
<br />
　まあね、別段この曲はいわゆる泣く曲ではない。表層的にはのんびりした“南洋”の曲だ。<br />
　が、やっぱり泣ける。<br />
　ただの懐かしさだけでなく。<br />
<br />
　で、どうして泣けるんだろうと考えたんだが、やっぱ先のエントリの追記のキャプションにもちょっと綴ったが、<br />
「船出を祝い 無事を祈る」<br />
　なんだろうな。<br />
　ここだなと。<br />
<br />
　同曲の日本語歌詞は基本的にずっとのんびりした南洋の島の雰囲気を歌っている。<br />
「青い青い空だよ 雲の無い空だよ サモアの島常夏だよ」から始まり、「風が吹く 静かな海 鳥が飛ぶ飛ぶ波間をゆく」<br />
　ここまではいい。<br />
<br />
　が、ラストのワンフレーズで「無事を祈る」と来る。「船出を祝い」ながら。<br />
<br />
　このことはその生活——たぶん漁だろう——が、“命がけ”ってことを表していることだと思う。この曲全体にある一種の寂寥感ってのは、このラストのワンフレーズのためにあるのではないかとさえ思う。<br />
<br />
　漁師の言葉に「（船）板一枚下は地獄」というのがあると聞く。<br />
　逆に大漁の際の“うまみ”もあるだろうからその辺りはいわゆる自己責任ってなもんだろうが、やっぱ「命を懸ける仕事」ってのはぐっとくるものがある。<br />
　ましてかのビキニ含めフランス領タヒチの漁師たちの忸怩たる思い云々を想像する時に、それとはまた別かもしれないがこの『サモア島の歌』は、やっぱひしひしと心に迫るものがある。<br />
　蛇足ながら俺はガキの頃から“島の子”で“海の子”で海の美しさも空の美しさも知ったと同時にその恐ろしさも知っているからこそ、この曲にふるふるするのかもしんない。<br />
<br />
　船出を祝い、無事を祈る。<br />
<br />
　いわゆる南洋系の歌にはなべてそれが感じられるのだけれども、『サモア島の歌』にも、一種の哀しみとか諦めとか、だからこその太陽と海とに託す明るさみたいなものが感じられる。<br />
　それはきっと、沖縄とか伊豆諸島、小笠原についてもそうだろう。<br />
<br />
　政治／経済／外交については「島の問題」は色々とややこしいモンがあるだろうなと思うけれども、少なくとも“その心象”に思いを馳せるってだけでも門外漢としては悪くないことじゃないかなあと、俺なんか思う次第。要は、きっかけ。<br />
<br />
　そういう意味でもね、俺は『みんなのうた』含む音楽たちに、無限の感謝を捧げる次第。芸術は勝つ。<br />
<br />
<br />
　……というわけで一刻も早く南洋の浜辺での〜んびりマイクロビキニのおねいさんたちを眺めて暮らす日々を送りたいものだね（笑）]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>サモア・タイム 〜 南洋への憧れ＠ #みんなのうた</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/81/" />
		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/81/</id>
		<issued>2012-02-14T22:07:33+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-14T22:07:33+09:00</modified> 
		<created>2012-02-14T22:07:33+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>音楽</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/80/" target="_blank">前エントリ</a>に引き続き、NHK『みんなのうた』のハナシ。<br />
<br />
『愛されて50年♪ みんなのうたリクエスト大全集！—1960年〜1970年代特集—』の第二部を聴いているのだが、かの栗コーダーカルテットが『サモア島の歌』と『北風小僧の寒太郎』を演奏していてとてもいい。<br />
<br />
『サモア島の歌』——♪青い青い空だよ 雲の無い空だよ サモアの島常夏だよ——は俺はみんなのうたリアルではないのだが、小学校の教室でカーテン付きのテレビ（笑）で観ていたNHK教育の小学中学年向けの音楽番組だかのエンディングで必ずかかっていて、い〜い曲だなあと思ったものだ。<br />
<br />
　ところでこうして気づいてみれば、1960年〜1970年代の『みんなのうた』には、「南洋」を歌った曲が多い。<br />
<br />
　いまゲストとして話している水森亜土ちゃまの『南の島のハメハメハ大王』とか、『イサレイ（フィジー別れの歌）』とか、あるいは『さらばジャマイカ』とか。<br />
　というわけでお陰様にて俺はここ20年ほど前からウクレレとかラテン音楽とかが大好きな人間に育ったのだけど、面白いなあと。<br />
<br />
　で、俺もいまあえて「南洋」という言葉を使っているのだが、この単語というのは明治から太平洋戦争前中後の言葉なんだろうなあと思う。何かこう、一種の——ゴーギャン／タヒチにも似た——「南洋」という単語に一括りにされる“謎な憧憬”。モスラーや、モスラ（笑）<br />
<br />
　このことは当時の『みんなのうた』がまだ戦前中後も「南洋」を引きずっていたという解釈も一方であるものの、また他方で、くどいようだが欧米に追いつけ追い越せでゴリゴリとやってきた高度成長期を経て、いわゆる“癒し”を求めはじめたことの表出なのかもしんないなあと思う。<br />
『さらばジャマイカ』がみんなのうたで取り上げられたのは1970年代も半ばのことだが、その頃はもうニッポン人、疲れはじめてたんだよねきっと。<br />
<br />
「科学かぁがくか、馬鹿馬鹿しい。つまるところキチガイじみた物量作戦に過ぎない」<br />
　というのは1972年（昭和四十七年でござる）に放送された『ルパン三世』の1stシリーズの大傑作「どっちが勝つか三代目」の中でのルパンの台詞だが、この頃にみんなのうたでも南洋の曲が歌われ、このあとしばらくして国鉄（現：JR）が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを始めたこととかは、けっして蔑ろにできないと思うんだ俺は。<br />
<br />
　何かこう、現在《いま》も学ぶべきことはあるまいか？<br />
<br />
<br />
<br />
【追記】<br />
　あるもんだねえ。『サモア島の歌】<br />
<br />
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/TzeYA29MPt4?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br />
<br />
　この「♪らら船出を祝い 無事を祈る」っていうフレーズは、いまだに俺の“言葉”に強い影響を及ぼしている。<br />
<br />
<br />
　で、ついでに『ゆかいに歩けば』も。<br />
<br />
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/6CHPlunBS7M?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br />
<br />
　やっぱ児童合唱団はいい。]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>コーラスら・いいん 〜 #みんなのうた 50年ラジオ特番</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/80/" />
		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/80/</id>
		<issued>2012-02-14T20:27:08+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-14T20:27:08+09:00</modified> 
		<created>2012-02-14T20:27:08+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>音楽</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/74/" target="_blank">というわけ</a>で先日放送され「ラジ録2（Mac版）」で録音した『愛されて50年♪ みんなのうたリクエスト大全集！—1960年〜1970年代特集—』を聴いているなう。<br />
<br />
　いやー、たまりませんなこりゃ(T^T)<br />
<br />
　当時の音源による色んな曲も流れているのだがこの回はボニージャックスがゲストで、『ピクニック（♪丘を越え行こうよ 口笛吹きつつ……ね）』とか『気のいいアヒル』とか『一週間』を生で唄ってくださっている。<br />
　で、ことに全俺が泣いたのは『さびしいカシの木』。いやー、あまり知られていないだろうこの曲を唄ってくださるとは！ 少年期の俺の胸の奥に、どれだけこの曲が刺さったか。ボニーもいいかげん凄く長いキャリアだが、いつまでも元気で唄い続けてほしい。<br />
<br />
　ところでこの1960年〜1970年代（ことに前半）の『みんなのうた』の特徴として、このボニーやダークダックス、デュークエイセスといった四人組の男性コーラスや、○○児童／少年少女合唱団ものが多いということがある。<br />
<br />
　こっ、れっ、がっ、いい〜ぃんだよねえ……<br />
<br />
　あちこちで綴ったりつぶやいたりしてるが、俺は同じ『みんなのうた』でも「1970年代前半まで原理主義」的なトコがあって（笑）——まあやっぱ世代（おっさん）なんだろうなとも思う一面——変な商業主義や媚びが無い感じでとても好きなんだよね。<br />
　もちろん当時の歌謡曲歌手やアイドル（中尾ミエさまの『ママごめんなさい』や坂本九ちゃ〜んの『えんぴつが一本』など）が唄っている楽曲もあってそれはそれで素敵で大好きなのだけれども、そういった曲と男声コーラスや児童合唱団が唄う曲がい〜い感じで混在していて、それが当時の『みんなのうた』の純度だったんじゃないかなあと思ってる次第。<br />
<br />
　ま、多様性ってやつですかね。<br />
<br />
　俺はハタチ前後からクラシック音楽を聴くようになり、またいまや色んな分野の曲を楽しむようになっているのだが、その原点は<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/79/" target="_blank">先のエントリ</a>で綴った“テレビまんが”の主題歌などの曲たちや『みんなのうた』がさまざまな曲を提供してくれたからだと思う。<br />
　本当に、感謝しているのだ。<br />
<br />
<br />
　……って、放送中に聴取者からリクエストがあったもののタイトルも判明していない謎の曲でどの曲かスタッフをしてもわからなかったって語られている「隣りに越してきたお兄ちゃんへのほのかな憧れを歌った曲」ってのは、<span style="font-size:x-large">ピンキーとキラーズの『あそぼうよ』</span>だバカモン!!<br />
（大名曲である）<br />
<br />
　本放送から数日経ったが、まだ調査中かな？<br />
<br />
<br />
<br />
【追記】<br />
　皆さん好きだなあ。『さびしいカシの木』がしっかりYouTubeにあったよ。<br />
　ちなみにいうとこの曲は大阪万博やオイルショックなどのあとの曲。世相を反映してるといえばたやすいが、別の側面から見るとそれまでのこの国全体を覆っていた高度成長期等々のイケイケドンドンの心持ちから、“一本の木”へ思いを馳せることが出来るようになった精神的回帰も根底にあると思うんだ俺は。<br />
<br />
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/cARpF9JR4NY?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>女の子も誰でも 〜 夢見る抒情、そして冒険 #カーネーション </title>
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		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/79/</id>
		<issued>2012-02-14T02:22:55+09:00</issued> 
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		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>雑感</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　変なハナシだが、ガキの時分から「女の子的なもの」へのシンパシイが強い。<br />
<br />
　それはたぶん“俺の中でのイメージとしての女の子”なんだろうが、いわゆるロリコンとはまた違い、女の子、そしてご婦人がたがたぶん永遠に持ち続けているであろう或る種の憧憬に対してへ、だろうと思う。<br />
<br />
　たとえば前にもつぶやいたが昨年の紅白で椎名林檎が『カーネーション〜女の子は誰でもバージョン』を唄った際に、その後半の——林檎率いる——東京事変『女の子は誰でも』に一瞬にしてヤられたなんてのも、そんな俺が心の奥底に抱えているものの現れだと思っている。<br />
<br />
<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/cOxs5Cvn5xw?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br />
<br />
　繰り返しになるがこの楽曲とPVが凄いのは、『奥様は魔女』や『かわいい魔女ジニー』などのアメリカンな往年の魔女ものドラマと（ついでにいえばMGMミュージカルのテイストも）を見事に再現しているところ。また、逆にいえばそうしたものの“魅力を知る土壌”となったNET——現：テレビ朝日・関東圏では「10チャン」——の「魔女っ子もの」つまり『魔法使いサリー』から『魔女っ子メグちゃん』あたりまでで育った俺の心象と、そしていうまでもなく同世代の女の子たちに寄せる思いみたいなもんだと思う。<br />
<br />
　俺、魔女っ子が大好きだったんだよね。<br />
<br />
　ちょっと歴史的なハナシになるが上記のドラマやテレビまんが（アニメ）が放送されていた当時の1960〜1970年代ってのはまだまだご婦人の社会的地位が過渡期であって、だからこそ社会的呪縛を超えるものが「夢」そして「憧れ」として描かれていたに思う。<br />
　たとえば『ひみつのアッコちゃん』なんてのはたかが“誰かに変身できる”という魔女っ子ものとしては最も“ショボい”能力ながら、場合によっては“男性にも変身できる”というところが強く魅力的だったんじゃないかといまさら気づく。『ふしぎなメルモ』もそうだろう。<br />
　それはもう、たぶん「女性解放」の歴史なんだろうなと。<br />
　小難しいことを語るつもりはないが、まあたぶんそうだろう。先の『奥様は魔女』等、アメリカで先に描かれていたのも含め。<br />
（後年、いわゆる「戦隊もの」が支持されたのも、そんな理由らしい。仮面ライダー以降、女の子たちもライダーキックよろしく暴れたかったとの由。なるほどなあと。モモレンジャーは大発明なわけだ）<br />
<br />
　さてところでそうしてご婦人がたが社会的地位とか発言権とかそうしたものをつけていく歴史の流れにおいて、だから男と“同一”であればいいのかといえば、俺はやっぱそれはちょっと違うと思うわけだ。<br />
　もちろん近代社会システムの中において男女は同権であるべきだし、平等な機会は与えられるべき。いうまでもない。<br />
<br />
　が、月々のかつて「おんな病」といわれた月経含めご婦人と野郎が生理的に同一になるわけでもなし、そこはまあ互いを尊重し思いやるという心持ちの問題だろうと、俺なんか思うわけだ。<br />
（ま、世の中何でも男女間だけでなく、自分とは違う立場にいる人々への想像力だろうと俺は思ってるんだけどね）<br />
<br />
　ハナシを元に戻すが、俺は「女の子の感性」が好きだ。<br />
<br />
　このエントリを記そうと思ったきっかけが戦前の雑誌『少女の友』へ取材番組を観たことだった。<br />
　で、いわゆる後期高齢者の当時同雑誌のご婦人がたの意見もさりながら、現代の若きご婦人たちへも『少女の友』が強い訴求力を持っているというハナシ。<br />
<br />
　純度が高くて、泣けたなけた。<br />
<br />
　俺は『弥生／竹久夢二美術館』にもしげく通ってるんで或る程度は近現代のご婦人がたや少年たちの憧れをわかってたつもりだったが、やっぱり「楔《くさび》だらけの時代の中でいかに自分の思いを表出するか」なんてのは泣ける。まあその辺りは体感しないとね。<br />
　そして俺はそれを単なる、いわゆる「レトロ趣味」に落としたくないんだよな。<br />
<br />
　時代変われど揺るがせがたい「女の子指向」、ビュアな「夢」と「憧れ」。それはそれで大事なんだが野郎＝男＝チンコ的なもんがけっして超えられない、美しい、或るベクトル。<br />
　まあ俺は騎士道主義つうか、ご婦人を包むのが男の仕事だと思ってるんだけどね。<br />
<br />
<br />
　いやしかしこのエントリを綴りながら聴いてるアルバム『魔女っ子大作戦』の素晴らしいこと!!　<br />
　俺は基本的に「ラナ〜ぁ！」「クラリス〜ぅ！」「シータ〜ぁ！」でありたい男だけど、その原動力もまた女の子への憧憬だろうな。<br />
<br />
　トム・ソーヤーでありたいね。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　……つか、この辺りの命題については今回のエントリでも俺ん中で消化不良なんで、継続的に考察して綴らないとな。（或いは小説で描く）]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>グランド・ホタル 〜 残り汁で炊き込みご飯</title>
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		<issued>2012-02-13T20:22:25+09:00</issued> 
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		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>食</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　先日、煮物を作ってもらう機会を得た。<br /><br />　写真を撮り忘れたが凄く美味しくいただいて、ああやっぱり男寡ではなかなか作り得ない料理はいいなあと、ほっこりした次第。<br /><br />　で、その煮汁が残っていて、さてどのように“仕舞う”かと考えたのだが、よし、炊き込みご飯がいいかなと。<br /><br />　というのも先週の『キッチンが走る！▽諏訪湖編』で紹介されたワカサギの炊き込みご飯が無っ茶苦茶旨そうだったから。<br /><br />　というわけで今宵の帰路で最寄りのスーパーに寄ったのだが、残念ながらワカサギは無し。<br /><span style="font-size:x-small">（関東でワカサギといえば上州の榛名湖が有名だが、放射性の影響を検査するだけの漁獲量が確保できないという異変が起きており、出荷が出来ないらしい。まったく、原発の野郎、余計なことしやがってだ）</span><br /><br />　さてその代わりというわけでもないがボイルのホタルイカのパックが半値に落ちており、よし物は試しだと、これを使ってみることにした。<br /><br />　残り汁の分量に相当するだけの米を研ぎ、薄切りの大根と共に煮物を作った鍋にそのまま放り込んで、強火で炊く。<br />　シュウシュウコトコトと煮立ったところでホタルイカを加え、掻き回さず、蓋に重石を乗せて最弱火で10分。<br />　時間になったところで10秒だけ強火にして、上に三つ葉を散らし、さらに蒸らし10分。<br /><br />　出来ました。（糸子風味）<br /><br /><a href="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/291317445966.jpg" target="_blank"><img src="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/291317445966.jpg" width="320" height="240" /></a><br /><br />　いやー、マジで旨かったこれ。<br /><br /><a href="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/291318086697.jpg" target="_blank"><img src="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/291318086697.jpg" width="320" height="426" /></a><br /><br />　まだたっぷり残っているので、あしたの弁当にする予定。<br /><br />　俺のやりくりが下手っぴいなせいもあり野郎の一人暮らしはどうしても食材や残り物を駄目にしてしまうことが少なくないが、今回は上手に仕舞えてよかった。<br /><br />　感謝の食である。<br /><br />　今度はまたぜひに、ワカサギで作りたいものだ。<br />]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>鼻の生涯 〜 シラノDVD発売!!＼(ToT)／</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/77/" />
		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/77/</id>
		<issued>2012-02-12T00:06:18+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-12T00:06:18+09:00</modified> 
		<created>2012-02-12T00:06:18+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>映画</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　さっき知ったのだが、ジェラール・ドパルデュー主演の『シラノ・ド・ベルジュラック』（1990）が、ついに<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B006QTDUVK/" target="_blank">DVD化</a>されるらしい!!<br />
<br />
　苦節22年。いやー、長かった(T^T)<br />
<br />
　シラノといえばルパン三世（旧作＆カリ城のみ）とラ・マンチャの男セルバンテス／ドン・キホーテと並ぶ、「俺の人生三大ヒーロー」のひとり。<br />
<br />
　本作はシラノの映像化の中でもおそらく最高傑作で、ドパルデューが最高にハマり役。作者のエドモン・ロスタンが観ても大満足するだろうと思われる。レーザーディスクは持っているのだが長くDVD化されておらず、某mixiで俺が作った「とっととDVD出しなさい」というコミュニティでも、ずっとアイコンとして使われていた。<br />
<br />
　それにしても思いを同じくする人は少なくないようで、まだ発売前ながらすでにAmazonでも3件レビューが記されている。ことに「Bo-he-mian」というかたのレビューが凄く熱い。俺が下手な言葉を並べるよりも、このかたのレビューを読んでいただければと思う（笑）<br />
<br />
　DVDは当然すでに予約したが、iTunes Storeで発売されたらそちらも買っちゃおう。<br />
<br />
<br />
　嗚呼、楽しみ也。]]> 
		</content>
	</entry>
	<entry>
		<title>UKO 〜 #カーネーション 第109回</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/76/" />
		<id>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/76/</id>
		<issued>2012-02-11T09:43:06+09:00</issued> 
		<modified>2012-02-11T09:43:06+09:00</modified> 
		<created>2012-02-11T09:43:06+09:00</created> 
		<author>
			<name>植木四十六（国木田独居）</name>
		 </author>
		<dc:subject>テレビ</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
			<![CDATA[　こ、これは凄いな……<br />
<br />
　次女・直子の覚醒と神戸の家含む千代お母ちゃん（おばあちゃん）の魅力再確認全開の木、金曜回だったわけだが、この土曜に来て長女・優子をこういう風に描くとは、まったく予想だにしなかった。<br />
<br />
　優子はこれまでいわば“嫌な子”、昨今の言いかたをすれば“痛いヤツ”として描かれて来た。優等生でそつなくありたいがための、結果としてのいわゆる「自己中」。そしてきょうも自己中全開でとどのつまり事無きを得たが妊婦のお客様を危険に晒してしまったわけだけれども、その前後含め「優子は駄目な子」という一方的なレッテルで終わらないところが素晴しい。<br />
<br />
　カーネーション節、炸裂。<br />
<br />
　ちゃあんと優子に仕事をまかせる母親／師匠スタンスの糸子とか事件後の昌ちゃんや恵さんのフォローとか、しかし良かったねで終わらせないところとか……いやまったくこういう作品はそうそう無いのではないだろうか。<br />
（サックドレスや東京弁のハナシ含め、ちゃあんと吸収してるのもいい）<br />
<br />
　俺は、俺自身がおっちょこちょいな人生を送ってきたこともあるのだが、ことに最近、一方通行的なそして単視点からの価値観とか行動とかで物事を評価しちゃあかんなあと思いはじめている。ここに来て（笑）<br />
　それが言い訳になってはいけないのだけれど、「人、生きる。」においては現実と理想とかの間の中で、色々とのたうちまわるものだ。何が是で何が非なのかなんて、本っ当にわからない。<br />
<br />
　モデルとなった実話はどうあれ、『カーネーション』は理想と現実との闘い——そして最終的に理想が勝つを描いているところが本当に素晴しいと思う。細心の丁寧さをもって。<br />
<br />
　八方美人でそつの無い、しかし自身の美意識に妥協のない優子のスタンスは、俺は痛いほどにわかる。人気者はつらいんだよ（笑）。つか、そういうもんをたかが15分の中できっちり描ききる渡辺あや脚本ってホントマジ凄い。<br />
<br />
　優子、頑張れ!!<br />
（直子も聡子も、そして糸子も）]]> 
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	</entry>
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